【 絶対に行くべし 】汝矣島(ヨイド)くま、メニューがないお店のオーナーに注目!

灰色のビルから体が抜け出た。朝よりずっと軽い足取りの人々がで道路を埋め尽くした。退勤は、新しい世界への出勤である。このまま家に帰るのは何か惜しい。

どこへ行こうか?

頭の中に、ぎっしりと食堂が描かれている小さな地図が広げられた。 シャツの第一ボタンを一つ外した。これから、もう会社員ではないことを知らせる私だけの儀式である。お腹がすいたしお酒も飲みたい。だからといって派手なフランチャイズレストランや大型レストランは好みではない。

そんなところより、裏通りの奥まったところ、小さい食堂だけどオーナーのプライドがこもったところ、お客さん一人一人に真心を込めるところを探す。目を閉じて頭の中の地図を検索した。心が決まった。

汝矣島(ヨイド)は、漢江(ハンガン)に浮かぶ小さな島である。20世紀の前には、鴨や鶏、馬などの家畜を飼っていた不要な土地だった。しかし、1916年から飛行場として使われ始め、汝矣島という名前が広く知られるようになった。朝鮮戦争後、都市計画に従ってマンションが建設されて国会議事堂が建てられ、現在の姿に整えられた。

現在、汝矣島は高層ビルの金融会社が集まっているもう一つの別の世界となった。この島には、自分だけの別の世界を作っているある料理人が暮らしている。

韓国で日本のNHKに該当するKBS放送局別館の近くには、1980年代に建てられた忠武(チュンム)ビルがある。昔の方式で厚くレンガを積み、セメントを注いで建てたこの建物の階段を上ると、新築ビルとは違う冷たい感じが足の裏に伝わってくる。

厚い内壁が振動を吸収して真空状態に吸い込まれるような、奇妙な空間感がある。低い天井の2階の隅に行くと、小さく「 くま 」と名付けられた飲食店が出てくる。昼は営業をしない。

お店は夕方からしか開いてなく、然も予約をしないと席が取れないことも多い。運よく席が取れた後に店に着くと、短髪で眼鏡をかけたオーナーが大きな声で挨拶する。

「 いらっしゃいませ!」 このお店の常連たちは、彼を見て投手の崔東原(チェ·ドンウォン)選手に似ていると言ったりする。約40年前、1980年代に釜山(プサン)を本拠地とするプロ野球チームのジャイアンツには、崔東原という投手がいた。

眼鏡をかけたその投手は、1984年に釜山ロッテジャイアンツを最終韓国シリーズ優勝に導いた。7戦4勝制の韓国シリーズで4勝3敗でだった。その4勝を挙げる活躍をみせた投手が崔東原選手だった。体を壊しながらチームのためにプレーしていた彼は、永久欠番となり伝説の投手として残った。彼の故郷は釜山の隣の小さな島、南海(ナンヘ)だった。その南海に面した港が三千浦(サムチョンポ)港である。

くまのオーナーについて

くまのオーナーは、今も夜明けに魚市場の競売が開かれる港の三千浦で育った。 「 料理ををしっかり学びたかった。それで、釜山の日本料理店に就職したんだが、あんまりにもいまいちだった。結局、日本に行かなければならない、と思うようになったな。」

オーナーは、鼻先の方にずり落ちてきた眼鏡を上げながら答えた。大阪に渡ったオーナーはスナックバーで働きながら、不思議な縁で東京の懐石料理店に転職することになった。

「 スナックバーに常連と一人のお客さんが来たんだけど、そのお客さんが、俺が働いている姿を見て、一緒に東京に行かないかと話したんだ。自分の下で働かないかと。」 オーナーは話を続けた。

「 苦労したな。裏の厨房で先輩たちが通りすがりながら殴ることもあったし、日本語は聞き取りにくかったし、ちゃんと教えてくれなかったし、本当に大変だったな。」 もう10年以上前のことだが、オーナーはまだその裏の厨房のことを生々しく思い出すようだった。

そこで彼は食材の選び方やお買い物する方法などを学んだ。お客さんが食べ残した料理を食べながら料理を会得した。日本にいた頃を思い出すと、オーナーの心は相変わらず新宿裏通りのどこかにあるようだった。

その後、独立して新宿で自分のお店を開いたオーナーは、約10年前に韓国に帰ってきた。彼は、日本の師匠に教わった通り、今も毎日早朝の朝市で買い物をしている。

「 絶対に良い食材でなければならない。材料に勝つ料理はないんだ。材料は8割ではなく全部だ。」 競売が開かれる午前4時に一回の買い物をして、朝市が終わる時間にもう一度市場に行って、人に 選ばれなかった食材まで市場内を隈なくチェックする。

そうでなければ、人より良い食材を手に入れることができない。 「 何か食べないとな。ちょっと待ってな。」 昔話を語っていたオーナーは、狭い厨房に体を押し込んだ。長い包丁を抜いて刺身を切り始めた。

くまのグルメ

一つ、知っておくべきことがある。このお店は、特にメニューがない。オーナーがその都度旬の食材を手に入れ、その食材に合わせて料理を出す「おまかせコース」一つのみだ。

お魚は天然物のみを使用するため、毎日同じ料理を出すこともできない。なぜ天然物にこだわるのかという質問に対し、オーナーの答えは簡単だった。 「 味が違うじゃないか、味が。」 オーナーが料理を学んだ国は日本だったが、このお店の料理には国境がない。

韓国隅々から出る最高級食材を手に入れ、彼なりのやり方で料理をする。レモンや唐辛子粉、バジル、塩辛など多様な食材を使い、日本や韓国、イタリアなど各国の調理法が行き来する。

この日、コースの始まりは軽く和えた旬のナムルだった。夏の最盛期に出るこのナムルは、エゴマの葉とシソの中間位の味がする。唐辛子粉のタレを添えたナムルはピリ辛で、夏バテで疲れた食欲がよみがえってきた。

次は、バジルペーストで和えたエビ・キュウリのサラダだった。夕立がたっぷり降った後のさわやかな空気の香りがするバジルと松の実、アーモンドをすりおろしてエクストラバージンオリーブオイルで和えたバジルペーストは、意外と海産物によく似合っていた。

オーナーの実力は韓国料理や日本料理に限らないという宣言みたいな料理だった。個室の小さな扉が開き、ついにお刺身が入ってきた。 「 俺は、天然物だけを使う。健康に良いとかそんな理由じゃない。おいしいじゃないか。もちろん、養殖魚も良いよ。けど、天然物の味にはついてこない。」

お刺身いっぱいの四角い器を持ってきたオーナーが敷居に腰掛けて話した。この日に出たお刺身は、天然ヒラメ、サメガレイ、イシナギ、クロダイ、マグロの背トロ、大トロなど約10種類に達した。

必ずしも大物をこだわるわけではない。しかし、オーナーは大きな魚ほど味が良いという持論を持っていた。ある意味、その言葉は正しいようだ。特に、本来大きく育つ魚ほどそうだ。

マグロを見ても、大きいほど脂肪が均等になり、肉質にコクがある。また、部位別に解体することができるので、部位別特性もそれぞれ際立っている。魚だけでなく、牛や豚などの家畜も同じだ。獣も同じく、年を取って体が大きくなるほど脂肪が均等に広がり、肉の香りもより濃くなる。

10kgを超えたというヒラメは、切られた刺身の断面が指の第一関節より厚かった。虹色に輝く断面をよく見ると、脂がしっとりと残っていた。浅い海でエビや小魚を食べて育つヒラメは、肉食性の魚種である。

「 南海で獲れたヒラメは最高だよ。川の淡水と海水が入り混じっている汽水域には、栄養分が多くてエビみたいなものがたくさんある。それを、こいつが全部食べてこれだけ育ったの。」

そのヒラメの隣には、白くて分厚いイシナギ腹身の刺身が置いてあった。オーナーのニックネームが「 汝矣島の竜王 」と呼ばれるようになったのは、まさにイシナギのおかげだった。

体重150kg前後にもなる深海魚の一種であるイシナギは、韓国で年に4~5匹程度が獲れる。韓国で獲れるイシナギのほとんどを手に入れ使用している店が、このお店である。

その方法は簡単だ。どんな価格でも代金を払って買うのだ。 「 俺には、お金で駆け引きしてはならない。品物で交渉しなければならない。市場に行くと、そんな風に噂になったよ。」

良い食材を見るとお金を惜しまないので、彼が歩いて水産市場に入ると、まるで芸能人のようにあちこちから卸売業者が彼を呼ぶ声が聞こえる。そのように信用を築いたため、イシナギを得ることができた。

イシナギの刺身は、まるで白いマグロのようだった。分厚い身は柔らかく噛みやすかった。噛めば噛むほど脂と甘みが一緒に出てきた。これに、オーナーが直接漬けたセウジャン(海老の漬け)を添えた。

北朝鮮との国境に接している小さな島、江華島(カンファド)から持ってきた海老を唐辛子粉で赤く味付けした。このセウジャンは、見た目と違って思ったより辛くなかった。

韓国式のチョコチュジャン(酢コチュジャン)、和風わさび醤油とは違うまた別の味のおかげで、たっぷりのお刺身を飽きずに食べることができた。おそらくこれが日本の刺身と韓国式の刺身の最大の違いだろう。

お刺身を味で何切れかを食べる日本と違って、韓国式のお刺身はお腹がいっぱいになるほど刺身がいっぱい出てくる。それに、このお店は客が刺身おかわりしても、追加料金なしでいくらでも刺身を出してくれる。

食事は絶対にお腹がいっぱいになるまで食べることだというのがオーナーの哲学だ。他の店では刺身用として使われる大きなマダイ焼きや日本から持ち込んだマグロ、噛めば噛むほど香ばしい甘みが感じられるサメガレイなど、韓国で手に入るすべての魚がこのお店に集まっているようだった。

だから、客たちは古いビルにやってきて、オーナーの長い包丁に切られた刺身を味わうために予約の電話をかける。 たったいくつかの個室とテーブル席3~4つが全てのこのお店は、オーナーの仕事場でもあり憩いの場でもあり永遠に夢見て憧れる海中のどこかでもある。

彼は夜明けに少し寝ながら、大きな魚の夢を見る。目が覚めると、また朝市に駆けつけ、気性が荒い商人たちの中で激しく駆け引きして食材を選ぶ。

そしてまた汝矣島に戻ってきてお店の隅の狭い椅子に座ってしばらく目を閉じる。誰かにとって彼の人生は理解できないかもしれないが、彼は気にしない。彼は小さな海の竜王となり、この狭い住まいにとどまりながら自分自身で満足するするだけだ。

海があって、その海が大きな魚を出してくれる限り、彼は日本に渡った二十歳の青年のように永遠に夢見るだろう。

汝矣島くま

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