東信名家(ドンシンミョンガ)、ガイドブックにはない絶品のお店!

灰色のビルから体が抜け出た。朝よりずっと軽い足取りの人々がで道路を埋め尽くした。退勤は、新しい世界への出勤である。このまま家に帰るのは何か惜しい。どこへ行こうか?

頭の中に、ぎっしりと食堂が描かれている小さな地図が広げられた。 シャツの第一ボタンを一つ外した。これから、もう会社員ではないことを知らせる私だけの儀式である。お腹がすいたしお酒も飲みたい。

だからといって派手なフランチャイズレストランや大型レストランは好みではない。そんなところより、裏通りの奥まったところ、小さい食堂だけどオーナーのプライドがこもったところ、お客さん一人一人に真心を込めるところを探す。

目を閉じて頭の中の地図を検索した。心が決まった。

ソウル江南(カンナム)にある教育大学の周辺は、名前と違って教育で有名ではない。その代わり、最高裁判所や裁判所総合庁舎、登記局など裁判所関連機関が瑞草(ソチョヨ)駅と教大(キョデ)駅近くに集まっており、そのおかげで、弁護士や司法書士事務所も磁石にくっついた鉄粉のようにぎっしり詰まっている。

いわゆる「法曹タウン」である。ここの地下には東京山手線のようにソウルの主要都心を循環する地下鉄2号線がある。その上は「江南大路」という、江南を横切る一直線道路が伸びている。

ソウル江南が賑やかな繁華街となった理由の一つが、この交通網だ。瑞草駅は法曹タウンを成す地下鉄2号線の駅の一つである。駅に降りると、アイドルのように加工しすぎたプロフィール写真の弁護士の広告がコンサート会場のように華やかに輝いた。

ほとんどが離婚訴訟を専門とする弁護士の広告だ。離婚専門というよりは弁護士自分が離婚したような感じがする写真を後にして道を歩いた。

メインの動線から外れると「貸したお金を取り返す」という司法書士あるいは探偵の広告が少し小さいサイズで所々に貼られていた。少し不気味な感じのその広告の主人公たちもランチタイムになるとどっと街頭になだれ込んで来る。

韓国の普通の会社員とは違って、もっと厳しい服装と真剣な顔をした彼らも、同じくワイシャツの袖をまくり、箸を取った。その服装ほど法律家は味にうるさいと言ったりする。

接待が多く、概して所得水準が高いからだという説明がつく。その話が完璧な真実とは言えない。裁判官や弁護士だからといって、生まれた時から美食家ではないはずだからだ。

それでも法曹タウンに行けば、すぐに有名になってまもなく消える軽いお店よりは、長い間ずっと食べられる良い飲食店がたくさんある。その一つが「東信名家(ドンシンミョンガ)」である。

冷麺とトッカルビ(韓国式ハンバーグ)を販売する東信名家は1964年、ソウルの北側にある米軍部隊のあった東豆川(トンドゥチョン)市に初めてオープンした。北朝鮮の黄海道(ファンヘド)出身のおかみさんは、家で冷麺を作る方法そのまま、生地を型に入れて麺を作った。

そして、大根や唐辛子などを塩水に入れて熟成させたキムチのトンチミ(大根の水キムチ)の汁と肉のだし汁を混ぜた後、麺を入れて冷麺を出した。問題は、その時代に冷たく食べる食べ物である冷麺から食中毒など事故が多く発生したということだ。汚れた水で作った氷が原因だった。

政府は、夏になると冷麺やパッピンス(小豆のかき氷)のように氷を使う食べ物を自制するようにキャンペーンを行った。東信名家も仕方なく火を使って焼いた料理の「トッカルビ」をメニューに追加することになった。その後、冷麺とトッカルビ2つの料理は今までお店の看板メニューとなった。

故郷を失って韓国に来てから、順調な時はあまりなかった。京畿道東豆川でお店を開いたが、1986年にソウルに行くことになる。その後ずっと、ソウルの東側にある江東(カンドン)区と松坡(ソンパ)区で大きなお店を営んだ。

しかし、パンデミックに出会うことになる。広い面積を使っていたお店ほど打撃が激しかった。団体客が途絶えたのだ。常連たちも家から出なかった。何度も山場を乗り越えた。2021年8月、新型コロナウイルス感染症が襲っていった後、オーナーはお店を今の瑞草洞に移転した。規模は前より小さくなった。

売上が減っても充実したお店を運営した方が良いという考えだった。そのおかげで、瑞草洞の会社員たちにはまたグルメ店ができた。お店に行く方法は難しくない。

地下鉄2号線瑞草駅から出て裏通りに入ると、5分以内に看板が見つかる。狭くくっついている席には白いシャツを着た男性たちとHラインスカートをはいた女性たちがぎっしり詰まって座っていた。

料理を注文する前に、まずはお酒から注文した。冷麺屋に来たので、「先酒後麺」の伝統を従うべきだ。「先酒後麺」とは、麺料理を食べる前にお酒を飲むことで、麺作りに時間がかかるので、その間退屈を和らげるために軽くお酒を飲むことである。

お酒を飲むための言い訳にしてはかなり思慮深い言い訳だ。しかもこの店は、他の冷麺屋より伝統酒の品揃えが抜群だ。北朝鮮の感じを出すためには度数の高い蒸留酒も良いが、軽く一杯飲むには香りの良い薬酒類も良い。僕が選んだお酒は「平昌薯酒 ジャガイモ酒」だった。

江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)郡でとれるジャガイモ酒は、過去の文献に残っている記録のないお酒である。ジャガイモという作物はそもそも朝鮮半島からとれなかったからだ。

それなら、伝統が全くないお酒かというと、それは違う。山に住んでいた火田民、つまり山野を焼き払い、その跡に雑穀を耕作していた江原道の土着民の間で口伝されていたお酒だ。

そのお酒が現在、専門的に造酒されソウル瑞草洞の冷麺屋の食卓まで上がることになったのだ。小さな杯にお酒を注いで香りを嗅いでみると、その香りがジャガイモよりは白くて小さなジャガイモの花に似ていた。

華やかで明るい香りではなかった。その代わり、内向的で整頓された香りの質感は、料理に合わないわけがないと思った。まもなく、トッカルビがテーブルに上がった。

トッカルビも歴史が長くない料理である。1950年代以降、全羅道(ゼンラド)潭陽郡(タミャングン)一帯で生まれたというのが定説だ。ひき肉にみじん切りにしたネギやにんにくのような野菜を混ぜ、小判型に形を整えて焼いた。一見するとハンバーガーステーキとあまり変わらない。

東信名家のトッカルビは牛肉と豚肉の2種類がある。豚肉のトッカルビは、一目見ただけでも色が薄かった。ナイフが要らないほど薄かった。しかし、豚肉の質感が生きていて歯ごたえがあった。

野菜から出た甘みと醤油から始まった塩味が友達のように柔らかく絡み合っていた。お酒をよぶ味だ。我慢できなくて小さな杯にお酒を注いで一気に飲んでしまった。

口の中が浄化されて次の味をよぶことになった。次は、牛肉のトッカルビの番だ。色が濃いだけに、鼻に伝わる香りの強さも格別だった。筋と脂肪、赤身をよく刻み混ぜて複合的な味がした。

赤身が含んだ肉の香りが感じられ、脂肪の香ばしい味がその上に乗せられた。しばらく噛んで食べると、筋からしこしこした味が加わった。シンプルではなく立体的に味が口の中に広がった。

牛肉の隙間に混ざった野菜は甘みを一段階引き上げ、トッカルビ一つだけでもご飯のおかずとなった。ハンバーガーステーキがお肉のもう一つの姿なら、トッカルビは肉を越えて一つの世界を持つ料理の姿持っている。

よし、これじゃ我慢できない。豪気にもう一杯お酒を注いだ。お酒を飲み干す、一気飲みのが韓国の酒道(お酒のマナー)だ。男らしく一息に飲み干した。杯の底には一滴の酒も残っていなかった。

トッカルビが残骸だけを残したまま消えていくと、こっそり冷麺がテーブルの上に上がった。配慮なしに全ての料理を一度に出さなかった。思慮深く客が食べる速度を見ながら、次の料理を出すタイミングを見ていたに違いない。店内は満席だった。

「あの、すみません!」「イモ!(食堂のおばさん)」「おばさん!」様々な呼称が客たちの口から飛び出した。韓国語の「イモ」は、母の女兄弟を意味する。父の女兄弟より、母の方が気が楽になるからか、韓国どこでも「コモ(父の女兄弟)」と従業員を呼ぶことはない。

韓国人は、酔ったり親しくなったりすると、食堂の従業員を自分の親戚のように「イモ」と躊躇なく呼ぶ。このお店の「イモ」たちは、餌を探す小鳥のように絶えずさえずる客たちの間で静かに料理を出していく。

食堂の創業者が黄海道出身であるだけに、平壌冷麺を出している。北朝鮮の首都、平壌((ピョンヤン)は昔から美食で有名な地域だった。漢江以北最大の都市であるだけに物産が豊富で、また平壌に住んでいる人たちはプライドが高かった。

そばで生地を作って麺を作り、肉のだし汁とトンチミの汁を混ぜて出す平壌冷麺は、一度だけ食べては味がちゃんと分からない。普通、肉のだし汁は牛肉や豚肉、鶏肉を一緒に混ぜて作るが、店によってはキジを入れることもある。

出汁を取って冷たく冷やした後、煮汁の上に浮いてくる脂肪分を取り除くと透明なスープだけが残る。これに味付けをして麺を巻いて出すと、舌に軽く漂うコクが感じられる。まず、スープから味わうのが礼儀である。

器を手で持ってスープを飲んでみた。冷たさに体が震えた。低い温度のため香りは荒々しく暴れることなく穏やかだった。しかし、その中に込められた香りの重みは重かった。

そして、その旨みは最高級のかつお節を煮込んだ出汁のように微妙で精巧だった。人々が平壌冷麺のスープを飲む時、なぜ目を自然に閉じるようになるのか分かる気がした。

では、これから麺を食べる順番だ。指に力を入れて力強く箸を使った。天に昇ろうとするイムギ(螭竜、韓国の伝説に登場する想像上の生き物)を捕まえるように、ぎゅっと麺をつかんで口の中に入れた。金属性の涼しいそばの香りが息をするたびに波が打つように鼻腔に押し寄せてきた。

その波の上で櫓を漕ぐように休まず箸を使った。最後の箸使いを終えたら器の底がきれいになった。腹の底から満腹感が感じられた。僕は、戦闘で勝った名将のように椅子に斜めに座り、残りの酒を杯に注いだ。 

黙々と静かな山からとれたものは、口数が少ない。自分を表しながら自慢しないが、その後ろに宿った高さと深さに息がきれるようになる。料理に添えたジャガイモ酒も、出汁に入り混じったそば麺もそうだった。何より、故郷を離れて歳月の桎梏を体で堪えてきたわけで、このお店の料理は、残さず綺麗に食べても頭がすっきり冴え、気持ちも整うようになる。

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